▽「図書館の中に街ができた」
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いろいろな人たちが集まり、ご老人は読書を、学生は勉強を、ビジネスマンは打ち合わせを、主婦は仲間内で談笑を、そして、子供たちは楽しそうに絵本を読んでいる。多くの人が交差し交流する「場」としての図書館。「街」という表現はいいえて妙だなと思う。そして図書館という街がもっと賑わうよう、私たちは挑戦を続けていかなければならない。
それは,“図書館ではない”であろう。
強いて言うならば,商材を絞り込んだ“商店街”,最近風に言えば複合商業施設,モールといったところではないだろうか?実際,TSUTAYA書店が入り,DVD/CDレンタルができ,スタバというカフェも入り,まさに図書館“風”モールと呼ぶべきものではないだろうか?
公共施設としては地域住民,人々の交流は多かれ少なかれ気にされるところだとは考えられるが,それは“図書館”として必ずしも求められる機能ではないだろう。そして,はっきりといえることは,図書館機能の向上には“もっと賑わうようにすること”はまったくもって目的足りえず,それは本来“図書館機能の向上”によってもたらされる結果であるべきものだろう。
これを市長が図書館のイノベーションによる結果として考えているとするならば,それはもう“図書館ではない何かを作ること”としか捉えられないのではないかと思えてならない。
▽トップ同士の即断即決
決定プロセスにおいても問題があるのではないか?といった指摘もされているところであるが,私は詳しくはわからないので判断もできない(私的な感触としてはどうなの?という思いは抱いている)し,いくら図書館のロールモデルにと言ってもそこは各市各自治体でまた別なので特に言及しない。
この間、武雄市図書館に対する様々な不安や懸念の声が聞かれたのも事実である。例えば、Tカード導入で個人情報が流出するのではないかという懸念。これについては、従来の図書利用カードとTカードの選択制とし、市とCCCとの協定書や規約の中で、個人情報の利用制限などをしっかりと規定した。
本を借りる際にTポイントを付与することは利益誘導につながるのではという意見も寄せられた。自動貸出機を利用した場合にTポイントがつくわけだが、Tポイントの付与は、市民サービスを高めたいという武雄市の考えに基づくもの。窓口業務の省力化によりレファレンスが充実でき、ひいては市民サービスを向上できる。
これは明らかに多くの問題提起をごっちゃにしてしまっている,と断じざるを得ない一文であろう。あるいは,あえて問題をごちゃ混ぜにして述べることで問題のすり替えを行っているとしか思えない。
「個人情報流出の懸念」と「Tカード導入による個人情報の利用」の問題は,まったくもって別の話,次元が異なる話である。
まず「個人情報流出の懸念」については,別に個人情報が(本当に)図書館内で完結したからと言って,懸念が増大するか否か?くらいしか変わらないことだろう。図書館内でしか個人情報が扱われないとしても流出の懸念はなくなるわけではないどころか,IT化の今の世の中で電子化して扱わないわけもなく,流出の懸念がなくなるわけもない。
それに対して「Tカード導入による個人情報の利用」については,個人情報の利用制限を規定したとしているが,そもそも個人情報の定義が誤っていると考えられる現状において,どの程度“しっかり”した内容なのかが危ぶまれるところである。
まず明確にしておかなければならないことは,「Tカードでの武雄市図書館利用に関する規約」に記載されている“個人を特定しない利用情報”とされている4情報(Tカード番号,利用年月日,利用時刻,ポイント数)は,Tポイントプログラム上においてはT会員規約によって明にCCC,およびTPJが取得する個人情報として挙げられている(ポイント付与,使用に関する情報)ということだ。
そして,今回も市長は同ポイント付与が自動貸出機利用による図書館窓口業務の省力化に関して付与されるものであると述べていることから,すなわち厳然と図書館利用に関してポイントが付与されるものと考えることができるだろう。
たとえ1日1回だけとはいえ,図書館利用に対してT会員規約に取得する個人情報として明記されている情報が取得されるのであるから,すなわち図書館の個人情報のごく一部が渡るということに他ならないのではないか?
▽目指すべきは「市民価値」の向上
いや,この問題を注視するようになってからずっと思っているのですが,図書館としてはその機能向上,利便性を追求することを目的とするべきで,その結果として「市民価値」が向上する,あるいはメリットを受けることができるのではないですかね?
結果を目的としてしまっては,本来すべきことを見失いかねない,というかすでに見失われつつあると思えるのは私だけでしょうか?
▽本物の指定管理とは
今回、図書館の指定管理をCCCにお願いしたが、これにより、以前と比べて開館時間を拡大しながらも運営経費は10%以上削減することができた。
とりあえず,いろいろな意味で話題に上った結果として書架の整理が追い付かない現状となってしまっているようで,ボランティアを募るというような話も聞こえてきます。
ずーっとこの状態ということもないでしょうから,せっかく削減できたというその10%を当ててでも,書架の整理に人を雇うべきじゃないですかね?
削減ばかりが目的ではなくて,中長期的には削減の方向に向かうとしても,現状を考えればその浮いたお金を機能向上に向けてもよいのではないでしょうか…。
▽公と私の融合
3年前に実現した市民病院の民営化を例にあげると、これまで地方の病院は公が担うべきとされていたことに対し、市民病院のトップが市長であることが果たして最も効果的なのか、という素朴な疑問が改革の端緒であった。
別に市民病院のトップが市長であることが求められてなどいないのではないでしょうか?求められている「地方の病院は公が担うべき」点というのは,サービス継続性であるとか品質の維持といった点であって,別に運営主体は公である必要など求められていないでしょう。
しかし、従来のように公イコール官、私イコール民という考えに縛られている限り、地域経済は永遠に活性化しないだろう。今回の武雄市図書館もしかりである。今こそ、公と私が融けていくべき時代である。
そも図書館という施設は直接的に経済活性化に役立つ施設なのでしょうか?そもそもそういったことを目的とした施設なのでしょうか!?
この一文から透けて見えることは,市長にとっては図書館も(特に経済的な意味合いでの?)地域活性化の一手段に過ぎないということでしょう。それはある意味で正しく,しかし現在市長が考えている,あるいは期待するほど直接的で短期的な視点で求めるとしたら,全くの的外れなのではないでしょうか?
▽「気持ちよさ」を追求したい
そこで、今後のキーワードとなるのは「気持ちよさ」ではないだろうか。役所の仕事の中で「気持ち良さ」という表現はまず使わないだろう。しかし、例えばアップルの製品は、パソコンや携帯電話など、機能としては他社とそれほど変わらないが、ユーザーとして使ってみると製品そのものの肌触りなど、とても気持ちがよい。行政もここまでサービスを追求しなければならない。
私はアップル製品は一切使っていないが,それでもこの視点は間違えていると思わざるを得ない。「気持ちよさ」というのはある意味言いえて妙だとは思うが,しかしながら肌触りなどという表面的な気持ちよさではなく,もっと広くトータルで製品としての使い勝手などの気持ちよさが評価されている点なのではないかと思う。
つまり,機能(武雄市としてとらえれば,今回の例では図書館)という単体ではさほど他と変わらずとも,製品としてその機能が,組合されて洗練され,ユーザーに気持ちの良い使い勝手を提供すれば,評価を頂けるということなのだろうと思う。
すなわち,武雄市図書館という武雄市の一つの“機能”だけが他と変わり,イノベーションとして話題になったとしても,武雄市そのものが気持ちよさを感じられるようなトータルでの機能を備えなければ,市長自らが述べている“気持ちよさ”を評価されうることはないのではないだろうか?
最後に一点,共感を感じた一語を挙げさせていただく。
役所にはこれまでの行政サービスを超えるサービスが求められるにちがいない。
武雄市図書館が気に食わないクラスタは論点を絞らないせいで共感を失ってる。
— ゆっけ(なんか鈴木佑輔)さん (@trinity_site) 2013年5月17日
「武雄市図書館が気に食わないクラスタ」ってなんなんだろう?って思ったのだけど…。
そもそも武雄市図書館って,内装はわからないけど外装はもともと公立図書館としては相当おしゃれな感じだったみたいですよね?そこに,代官山蔦屋バリにTSUTAYAとスタバが入って,相当な素敵空間になったと思うのだけど,別にまあそれを市民が求めてやまないならそれはそれでいいと個人的には思うのですよ。
で,そういう意味でも極個人的にはだれも武雄市図書館が気に食わないとは思ってないんだけどなぁとか,あるいは他の問題提起されている方々にしてももともと相当おしゃれな図書館として存在した同図書館に対して気に食わないと思われている人は少ない,というか自分がフォローしている中では別に見当たらないような気がするのですね。
くわえて言えば,様々な問題提起がなされている中でそのすべての問題を共有しようというのは難しい現状になってしまっていると思うのですが,そのような問題多き現状に対して,まず現状認識としてそれほどまでに多くの問題があるということをご認識いただく必要があるわけで。
そのうえで,プライオリティをつけて一つずつ解決に向かうというプロセスならばわかるのですが,論点を絞って話をしたところで問題多き現状を共感も共有もされないわけで…。
問題点がそれほどまでに多くあると認識いただけていない人からすれば,
「なんでおしゃれで素敵な図書館ができたのにケチつけるの?(素敵な今のまま)問題点を解決していけばいいんじゃないの?」
という認識でしかないところ,
「これほど多くの問題点があるのですよ。今の素敵な図書館を維持したまま改善できるならいいのですが,根本的に解決のために変更を余儀なくされてしまうような問題もあるのですよ!」
と訴える必要性があると思うのです。
少なくとも,某市長とその周辺の方々には数多き(多すぎる)問題点を認識,共有していただき,そのうえで問題点について認め,解決に向かって議論するという段になれば論点を絞ることもできると思うのです。
しかし問題点を認めていただけない状況で,さらに新たな問題点が見つかってしまう状況では,論点を絞らせないのはどちらなのだろうか?と思わざるを得ません。
そろそろ出かけるので,一点だけ。
行政のサービスはそもそもユニバーサルサービスであるべきだ。基本的に休みがあってはならない。
いや,別にユニバーサルサービスに休みがあってはならないなんてこと,ないんじゃないの?
どこでも,だれでも,同じようにサービスを受けられることが大事なのであって,「嫌なら他所へ行けばよい」というような図書館はおよそユニバーサルサービス足りえないんじゃねーの?
イミフすぎる…。
“発言内容が誤解されているとした上で「日本人の読解力不足が原因だ」と反論”って,同じ日本人をバカにしてるのか?自らも不適切な発言と認めたんじゃないの?
禿同ww 自分と同じ時間の使い方を他人に求めるのは自意識過剰というより、多様性に対して不寛容なのかなと思ってます。 RT @naokages … 「フォロワーは自分の全てのツイートに目を通しているはず」だなんて考えはちょっと自意識過剰ではないかと思います。 … @hiwa1118
— 杉山 隆志さん (@TakaFlight) 2013年5月17日
“自分と同じ時間の使い方を他人に求める”ことが“多様性に対して不寛容”とする一方で,某市長の自分が好きなものはみんな好きなはずとかいう発言というか意識についてはどう思っているのだろうか?
自分と同じ時間の使い方を他人に求めることよりも,自分と同じ趣味,嗜好を他人に求めることのほうがよっぽど多様性に不寛容…,どころか他人の個性,パーソナリティを無視した,他人を尊重しない不遜な考え方と思えるのだが(*_*;
勝手ですが、まずは有権者の意見に耳を傾けるのが民主主義。文句も筋が良ければ受け入れますが、Twitter上ではほぼ皆無。 RT @seaki よく考えたら俺らが国庫に拠出した税金がわずかながらでも武雄市には行ってるので、文句言うのは妥当だな
— 武雄市長 樋渡啓祐さん (@hiwa1118) 2012年12月3日
とりあえず,武雄市長ですらも勘違いしているようなので物申す。
武雄市図書館のご利用案内には,以下の一文がある。
日本国内に居住されている方は、どなたでも利用カードを作ることができます。
なぜ利用者たる資格のあるものの意見が聞けないというのだろうか?
(武雄市)有権者でないと意見を聞けないというのならば,利用対象を市外の者に広げることはないだろう…。
2.民主主義の基本である、選挙、議会の軽視
問題提起されている方々は誰も選挙も議会も軽視などしていない(と考える)のであるが,一体全体いつの間に民主主義の“基本”が議会になったのであろうか?
議会制民主主義とも言われるように,確かに会議によって話し合い,最終的には議決をとって物事を決める。したがって,基本というのもあながち間違い,的外れとは言えないとは思うが,民主主義の基本は国民主権,住民主権ということに相違ないだろう。
あくまで,選挙によって代表を決めることは多くの主権者たる住民の代表を決めて会議を行い,全会一致に至らない場合に多数決によって決を採るという“手段”に過ぎないだろう。
“多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利”をも尊重するのが民主主義であって,すべて議会で決まったものが万能,完全無欠であるわけもない。まして良いものだと言っているものであっても問題点が全くないなどということはなく,指摘に対して真摯に向き合い,より多くの人にとって良いものであるように常に改善することに何の問題があるというのだろうか?
3.改革の意味を理解しようとしない
…今回のメンション相手の多くは、その総合判断や、市民の総合的な意思を考える気がないとしか思えなかった。こういった意見は、改革を遅らせるという意味で、利権・既得権と同じ立場になっていることに、無自覚。
たとえば,私が懸念している個人情報等情報管理という面で見れば,必ずしも費用対効果で語れないこともあるだろう。たとえば,いかに利便性が向上したとしても,情報流出等は費用とは比べようもなく取り返しのつかないことなのである。
情報管理のみでなく,公立図書館としての公共性を考えれば,費用対効果などプラスマイナスだけですべてを語れるものではないのではないか?
加えて言えば,CCCの担当者は同図書館運営において指定管理運営前の現状維持以上をなしえるのは民業の益あればこそ,と述べており,それこそ“総合的に図書館を見れば”単に市が負担すべき開館時間延長における費用を,図書館内に商業施設を置くことで肩代わりしているにすぎない,と考えることもできる。
武雄市という視点で見れば確かに費用を抑えることにはなっているかもしれないが,それは単に同施設内に指定管理者の商業施設を置かせることで賄っているにすぎないと言える,と考えられる。
それは,いわゆるアウトソーシングなどですらなく,民業の益あればこそなる図書館司書や機能の維持など企業努力とも言えず,ただの利益誘導とその利益の吸い上げといっても暴論ではないようにも思える。
はたしてそのようにして地域の同業者が衰退したとしたら,いったい何を“改革”したということになるのであろうか?
武雄市長「万人に受けようとおもったら、ものすごいつまんない図書館しかできないんですよ。だから、この図書館が嫌だったら、他所の図書館に行きゃあいいんですよ。本当に。」「これが全国のロールモデルとなってね、広がっていくと、もっと地方ってよくなるんじゃないかと思いますよね。」
やはりこの市長は,民主主義を誤解しているとしか思えない。
必ずしも万人に受けることを考える必要はないかとも思うが,誰しもが利用したいと思える図書館であることが“公立”図書館に求められるものなのではないのか?
一部の人に受ける図書館のようなものを作るならば,私財を投げ打って作ればいいし,公立図書館とは別に勝手に市長がCCCの社長と意気投合して作ればよかったのだ。
民主主義とは多数決の理論で成り立つものではないのだ。少数意見にも耳を貸し,より多くの人々の賛同を得られるものにすることが求められるのではないだろうか?
「この図書館が嫌だったら他所に行きゃあいいんですよ。本当に。」
武雄市に武雄市図書館以外の公立図書館があるとは思えませんが,そうですか。つまり,お隣の伊万里市民図書館へ行けばよいというのですね。
なるほど,市民価値向上の結果が「気に入らなければ他の図書館を使えばよい」というのは,あまりにあまりな暴論ではないですか?
この写真だけを頼りにこのようなことを書くのは,前後の文脈など問題ないのか?という意見がありそうに思えますが,これが武雄市図書館のことを言っているとしたならば前後の文脈など関係なく,この一言だけで十分武雄市民のことをどのように考えているのか?と言わざるを得ないでしょう。